現代文=センス?
多くの人を悩ませる現代文の勉強方法。
記述式重視の傾向もあり、現代文が得意だと記述に有利ではないかと考えられているところもあります。
現代文が得意だとなんとなくかっこいい、と思われるのはなぜでしょうか。
現代文の勉強法や高得点を狙う方法としてはかならず聞かれる「センス」という言葉。
英語や古文にはまず文法や単語を覚えるフェーズがありますし、数学でも公式を覚える必要があります。
社会や理科は比較的暗記の割合が高いと思われています。
一方現代文は多くの人にとって母語ですので文法を改めて勉強する必要はない、と思われがちですし、単語もわかっていると思われがちです。
そのため、何か明確な暗記事項が無いのに解けてしまう人に対して「センス」があるという見方をしてしまうのではないでしょうか。
その反動か、現代文の勉強法や成績アップの方法として「センス不要!」「センスは関係ありません!」という記述がいたるところに見られます。
なお、本ページは現代文の中でも論説文や評論文を念頭に解説していますが、入試の小説問題でも同じです。
入試の小説問題については次の記事をご覧ください。
受験小説の読解方法:入試の小説問題はロジカルに作られている、解き方が参考書を読んでもわからない人へ
センス不要論者が提示する勉強方法とは
ではこのように「センス不要」を叫んでいる人たちからはどのようなものが現代文読解に必要なものとして提示されているでしょうか。
一つは「読解力派」。
読解力派が言うには、「現代文は筆者の側に立って、筆者の論理構成を沿うように読んでいけば高得点が取れる」「時間内に解答するためには速読力を磨くことが必要」などと言います。
しかし読解力派から「どのようにすれば筆者の論理構成を追うことができるか」「どうすれば速読力を磨くことができるか」を聞き出すことはできません。
聞いても返ってくる答えは「自分の意見を挟まずに筆者になりきる」とか「量をこなすことで速読力を身につける」といったものです。
「筆者になりきる」って演劇部に入ったわけではないのですし、筆者になりきったら間違うときもあります。
なぜなら出題者はそういう読み方をしませんので、筆者になりきらず第三者の視点で問題を出題するからです。
評論文の書き方という定規があり、筆者も出題者も同じ定規を持っていて、双方がその目盛りに従って書いたり読んだりするのです。
小説も同じです。
近代小説の書き方の定規があります。
というか普段小説を読むとき、誰の気持ちになるかなんて読み手の勝手じゃないかと思います。
読書量を増やすことで速読力を身につけるというのも間違ってはいませんが、受験対策とは言えません。
小さいころからたくさん本を読んでいる人は、文章を読むことに慣れています。
なぜなら現代文は言語科目ですので、英語を学ぶのと同じように、日々の積み重ねが大切なのは言うまでもありません。
ですが受験勉強という限られた時間の中で考えるとどうでしょうか。
受験までの1年以内という時間の中で、他の多くの科目の勉強と並行して読書量を果たしてどれほど増やせるでしょうか。
また、読書量を増やすという方法論には定量的なゴールがありません。
どれくらい本を読めばどれくらい読解力が上がるかはわからないのです。
私はこれこそみんなが言っている「センス」ではないのかと思います。
もう一つは「暗記科目派」です。
暗記科目は「現代文は実は暗記科目なので、評論文キーワードと背景知識を覚えれば傍線と問題文を読むだけで解答できる」という人までいます。
これは正しいと言えば正しいです。
本文を読まないで答えがわかるかどうかまではコミットしませんが、自分が知っているジャンルの話が出てくれば本文読解が非常に容易になることは確かです。
大海原の中である程度の海図をもって航海しているような状況ですので、船の行きつく先を予想しながら読んでいくことができるからです。
しかし受験勉強で考えたときには間違いであると言えます。
まず一つに、現代文で出される高度な話題について、受験生が一つ一つ背景知識として理解し、単語を覚えていくことはとても非効率で、現実的ではありません。
その時間を他の科目の勉強に充てる方が総合として得点は伸びるでしょう。
二つ目は、覚えた背景知識や単語を使う問題が出るかどうかという問題です。現代文では今まさにニュースになっている時事に関する思想や新しい思想に関する評論が出題されます。
受験生自身ではなかなか新しい思想を論じている一次文献(論文など)を読み込むことは無いでしょうから、参考書や先生が最先端の情報を取り入れて生徒に伝えるという形になりますが、なかなか現実的ではありません。
なにより入試問題の出題者はそんなことは求めていません。
大学は未知のことを研究していく場所です。
これから大学に入ってみなさんが初めて見る資料や議論を理解していくことができるかどうかを入試で聞くのです。
ですから入試問題はそこで論じられている背景知識や最先端のワードがわからなくても、しっかり文章を読めば問題に解答できるようになっています。
高校生として求められる最低限の語彙力は勉強すべきだと思いますが、入試評論文に出てくるレベルの語彙力は、それを受験対策の中心として勉強するべきものではありません。
以前参考書も書いている有名な現代文の先生で「本文の行間を読め」という先生がいましたが、行間を読めるのは先生がその話題をそもそも知っているからです。
知っていれば問題を解くのはとても簡単ですし、ぶっちゃけた話、本文をしっかり読解できなくても解答がわかってしまうので、生徒に解説するときに先生自身の読解力を問われることがありません。
「これはこういう話題でこういう議論が一般にされているから解答はこれ、背景知識として覚えておきなさい」で済んでしまうからです。
現代文のセンスを論理的に解明する
冒頭にも述べた通り、現代文が得意な生徒は「センス」があると言われます。
おそらくその生徒が持っている何らかの力が、周囲には明確に把握できないので、周りの生徒はそれを「センス」と呼ぶのです。
それではその「センス」とはいったいどのようなものかを種明かししたいと思います。
1 中学校までに習った日本語の文法がわかっている
中学校までに国語で日本語の文法を習っています。それは主語と述語、修飾語の関係であったり、指示語や代名詞がどのようなものを指しているかについてです。実はこれがしっかり身についていない受験生も多いです。そういった生徒は、文章を読んでいるうちに主語と述語がごちゃごちゃになってしまったりします。なかなか中学校の勉強をもう一回というのは気が進まないかもしれませんが、不安な場合はぜひ一度振り返ってみましょう。
2 高校までの教科書に出てくる語彙を身につけている
教科書は高校3年生までに読んでほしい文章が選ばれています。当然出題者も教科書にどのような文章が採録されているかはチェックしています。入試問題に難しい語句に注釈があると思いますが、どれに注釈をつけるかというのを判断する一つの基準も教科書の文章レベルです。現代文の語彙は語彙だけで覚えても効率的ではありません。話の流れと合わせて理解するべきですので、現代文単語帳などの参考書を手に取る前に、まずは一度習った文章の語彙をしっかり身につけているかチェックしてみてください。
3 文章の書かれ方を知っている
本当にセンスがある人は教えられなくても自身の読書経験から誰にも言われずにその文章構造の共通性を見抜き、体得しているのだと思いますが、そんなのはほんの一握りの天才です。誰かに教わることは格好悪いことでもなんでもありません。この文章の書かれ方を知ってもらうことこそ、当ブログの目的です。以下のページや過去問解答解説で説明しています。
kokugo-gendaibun.hatenablog.com
上記1~3に加え、オプションとして次の力も身につけるとなお良いでしょう(あくまでオプションなのでこれ中心にならないように!暗記科目派はこればっかりを勧めてきます。)
4 よく出てくるキーワードを覚える
評論文や小説文には独特の語彙や言い回しがあります。読書量を増やすにも限界がありますから、これらを効率的に身につけるには参考書を活用しましょう。
5 よく出てくる背景知識を覚える
入試には近代科学文明を論じたもの、ジェンダーを論じたもの、人間の認知について論じたものなど様々な話題が出ます。それぞれどんな観点でどんな議論がされているのか、おおまかに把握しておくことは、評論文についてのアレルギーを防止する効果はあるでしょう。もし面白いと感じたら、ぜひどんどん調べて、自分なりに意見を膨らませてみてください。きっとその関心は大学に行ってから花開くことでしょう。
これらの要素を「センス」というのであれば、私は現代文には「センス」が必要だと言いたいです。