現代文のテーマを捉える2つのポイント:北海学園大学入試国語過去問を例にして
現代文(評論文)では冒頭でその文章のテーマを捉えることが大切です。
入試問題は筆者が書いた文章の一部を切り取ってきたものですので、その切り取られた部分のテーマを探し出すことになります。
ですので本や論文のタイトルに書かれたテーマと一致しない場合が多々あります。
現代文の攻略法として出典のタイトルを読むように勧めている先生等には要注意です。
出典のタイトルが参考になるかどうかはケースバイケースになり、答えがわかるのは本文を理解してからです。
本文理解も覚束ないうちにタイトルにとらわれてしまうと本文理解の際に雑念が入ってしまうこともあります。
現代文は本文に書かれたことがすべてという鉄則を忘れないようにしましょう。
さて、他の記事でも解説しているように、入試問題という限られた文章量の中でうまく問題が作れるように出題者が出典から抜き出してくるわけですが、通常、その冒頭にテーマが書いてあります。
文章の出だしでテーマが書かれていない場合、問題の難易度があがります。
ただし、これは小手先の難しさであり、受験生の学力を適正に図れるというわけではありませんので、あまりこのようなケースには遭遇しません。
出題文の出だしに注意してテーマを拾うようにしてください。
今回は2020年2月9日の北海学園大学経済学部1部の国語大問1の問2を例に入試現代文でのテーマの捉え方を勉強したいと思います。
今回のケースでは2つポイントがあります。
2020年2月9日 北海学園大学経済学部1部の国語大問1の問2
まず、本文は「自由」を問うためにどのように考え始めたらよいのかということをずっと述べています。
本文冒頭で「自由」とかぎ括弧で強調されて出てきます。
そして「とは何か?」という疑問形で書かれています。
疑問形で筆者が問いかけているのは重要テーマだ、というような解説をしている参考書もありますね。
これも間違いではなく、実際この本全体を通せばテーマに間違いないのですが、こと出題されている本文について見てみるとどうでしょうか。
ちなみに出典のタイトルは『「自由」はいかに可能か 社会構想のための哲学』です。
なので出典の本では一冊を通じてずーっと自由がどうやったら可能になるのかを論じているのだと思います。
出典のタイトルに注目してしまうと、「自由の可能性」や「自由の実現方法」などが出題された本文のテーマなのではないかと想像してしまいがちですが、これは落とし穴です。
本文に戻ってください。
出だしの問にすぐ続いて、「この問いを解明する前に、ここではまず、~」と書いてありますよね。
つまり筆者はこれから先の文章では、先ほど挙げた問いを解明する前に、まず手始めに、そのヒントになりそうな違うことを行いますと宣言しているのです。
それは何でしょうか。
「「自由」にまつわる様々な表象を解体」すると書いてありますね。
なのでここから先の文章には「自由」の表象=「表面的なイメージ(本文2文目」の解体ショーが繰り広げられるのです。
出題文のテーマは「「自由」の表面的なイメージである表象の解体」です。
受験テクニックや公式のようなものに頼りきりにならず、しっかりと本文を確認する。
これが一つ目のポイントです。
二つ目のポイントは意外とできない人が多いものです。
既にテーマについて述べてしまいましたので、これを読んでいるみなさんはもうテーマについて迷わないと思います。
ですが実際に一人で問題を読んでいると、いつの間にか「愛」について書かれた文章であると誤って読み進めてしまう人がいます。
3文目冒頭、「たとえば、愛というと」とありますので、愛について書かれている部分は何かの例示にすぎません。
この場合は表象=表面的なイメージの例です。
ただし本文では愛についての言及が結構長く続きます。
そうするとみんないつの間にか頭の中から「自由」が飛んでいってしまいます。
これ、自分では大丈夫と思っていても、結構やってしまいがちです。
特に、冒頭でテーマを掴み切れていないうちに具体例のパートが長く続くと、ついつい具体例パートに書かれていることがテーマであると勘違いしてしまいがちです。
二つ目のポイントは文章冒頭では特に本文の幹となるテーマのパートと枝となる具体例のパートの区別を気を付けながら読むことです。
ここまでわかれば問2は答えが明らかです。
表象(表面的イメージ)←→本質の区別のうち、書かれているのは表象ですよね。
選択肢 エ「表面的イメージに関する問であり、本質的問ではない」が正解です。
以下の記事もご覧ください。
kokugo-gendaibun.hatenablog.com